塩コンのブログ

雑念を記しておくところ。

「小学校を超える」ということ。

※この記事は苫小牧高専アドベントカレンダー2017 9日目の記事です。

 

なんとなくこのカレンダーの存在は知っていましたが、今年は乗っかってみることにしました。塩コンブ(@shiocon_y)です。

 

高専生らしく技術ネタを書かれている方もいるみたいですが、ワシはそんな技術力を持ち合わせていないので、専攻科まで来たワシが何を高専で学べたかを書こうと思います。当初は懐古厨する予定でしたが、そうでもなくなったのでご了承を。

 

専攻科生という生き物はとても不思議です。世の中にたぶん数百人しかいません。絶滅危惧種です。高専を凝縮したものでもあります。でもワシはレアもの、珍しいものが好きだったので専攻科生になりました。

 

そんなワシが今までの高専生活で学べたこと。

 

1.文章を書くこと

小学・中学と、国語のテストであるような「40文字以内で書きなさい」以上の文章を書くことが嫌いでした。小5末で提出予定のパーソナル新聞はいまだに提出していません。

でも、今となっては1200字くらいならパパッと書けます。

一番影響してるのは実験レポートだと思います。考察だけで平均1800文字程度を書かなければいけないので、嫌が応にも文章を書くことになります。

 

ここでポイントなのは「どれだけ長く一文を書けるか」ということです。

 

レポートは正直だるいです。しかも考察ページが少なかったり、空白が多かったりすると先生にいちゃもんを付けられます。そこで編み出したのが「一文を長く書くこと」でした。

もちろん、一文を長く書くと読みにくくなります。でもできるだけ長く書いてページを埋めました。

するとどうでしょう、考察のページはみるみる埋まっていきました。紙が字で真っ黒になりました。嬉しいですね。

いいことはこれだけではありません。先生の読む気を削ぐことができたのです。レポートなのにそんなことをしてもいいのか、と言われるでしょうが受理のためには手段を選びません。(それでも添削してくれた一部先生方には多大な感謝を。)

 

ただ、自分で一文が長いことは重々承知でした。自分でも読みにくいことが多々ありました。でも今はこの経験が反面教師になって、できるだけ短く・簡潔な文章を書くことの心がけになっています。

 

2.自分は常に勉強中である、ということ

これは専攻科生になってから特に実感していることですが、世の中は自分が勉強してきた専門の知識・技術だけでは成り立っていません。神よろしく八百万の知識・技術があってこその世の中です。

 

専攻科では自分が専門としてきた分野以外の授業・実験もあります。それをやる中で、自分がどれだけ専門(電気電子)にうぬぼれてきたのか、どれだけ自分の知らない世界があるのかを実感しました。

もちろん、世の中のすべてを知ることはできません。葛葉紘汰や檀黎斗のように神にでもならない限り不可能です。でも、知ろうと努力し少しずつ蓄えることはいくらでもできます。それが勉強です。

 

世の中を知ろうとすることが勉強なので,学校の図書館に行って、タイトルがいい感じの本を片っ端から読むこと、Wikipediaのおまかせ表示機能でテキトーな記事を読むことも勉強です。

字を見ることだけが勉強でもありません。仕事をしない上司の使い方を考えること、自分のタスク管理の甘さで一大事を起こすこと、初対面の女性と何も話せずいい機会を逃す(!)こと、これも勉強です。

 

自分自身、もう少しこのことを早く気づいていれば良かったと後悔しています。

でも気づけただけ良かったとも思っています。恐らく自分が人間としていい感じになるための重要なことです。

 

終わりに

この記事のタイトルは、「小学校を超える」ということ、でした。高専専攻科まで居れば7年、人によってはそれ以上ですが、小学校の6年を超えているわけです。

本科で卒業しても5年と、いずれにせよ長い年数を過ごすことになります。

一つの場所で長く生活したものの、その中で得られたものにちゃんと気づいていない人が僕の周りに多くいる気がするので、僕の一例としてこの記事を書きました。

 

高専に入りたい人、在学中の人、卒業した人、誰がこの記事を見ているかはわかりませんが、自分が得られたものは何なのかを考える一つの機会になればと思います。

 

明日は中学からの先輩でもある、将軍さん(@park_shogun)の記事です。お体お大事に。